アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
畦野教会ニュース
ブログ紹介
畦野教会の新着情報や牧師の独り言などなど。
help RSS

御言葉の余韻

2012/04/22 21:02
画像


「そしてイエスは、聖書を悟らせるために
彼らの心の目を開いて、言われた。」
(ルカによる福音書24章45節)

「豚に真珠」、「目から鱗」という諺だけでなく、聖書に影響を受けた文学や芸術が多くあります。それらを教養として学ぶということが隠れたブームとなっているようです。キリスト教を紹介する本が一般書店にも多く並んでいます。当然、それらは信仰を前提としませんし、聖書を「神の言」とも理解していません。

復活の主イエスは、弟子たちが主の身に起きた十字架と復活の出来事をすべて理解できるように、彼らの心の目を開き、聖書を悟らせてくださいました。主によって心の目を開いていただかなければ、私たちも聖書を正しく理解し、その真理によって生かされることはできません。だからこそ、私たちは主の助けを祈りながら、聖書を読むのです。
記事へトラックバック / コメント


ぶどうの小枝

2012/03/16 13:28
画像


「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、
時宜にかなった助けをいただくために、
大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
(ヘブライ人への手紙4章16節)

こんな讃美歌があります。「しずけき祈りの ときはいとたのし。なやみある世より われを呼びいだし、み神のもとへと 全ての願いを たずさえいたりて つぶさに告げしむ。」世の中で生きていくことは、息苦しいことも、ストレスがたまることもたくさんあります。自分の力ではどうしようもない出来事に直面する時、人は祈るのではないかと思います。

主イエスは、祈りの人でした。生涯の歩みの中で、いつも父なる神に祈られていました。十字架を前にして「父よ、できることならば、この杯を私から去らせてください。しかし、私の願いではなく、あなたの御心を行ってください。」と、また、十字架の上から「父よ、彼らを赦してください。自分が何をしているのか分からないのです。」と祈られました。この主の十字架の犠牲によって、私たちも父なる神に祈ることが許されています。「大胆に恵みの座に近づき」、自分の思いを神さまに打ち明けることができるのです。

教会の一番大切な働きは祈ることです。教会は祈りの家と呼ばれます。日曜日、忙しい日常を離れて、静かな祈りのときを過すことは、この上ない幸せなのではないでしょうか。
記事へトラックバック / コメント


御言葉の余韻

2012/03/11 13:26
画像


「再び戻って御覧になると、弟子たちは
眠っていた。ひどく眠かったのである。」
(マタイによる福音書26章43節)

オバマ大統領のスピーチの最中に大統領の斜め後ろに立った男性が必死に眠気を堪えようとしている映像がニュースに映りました。絶対に眠ってはいけない状況でも、眠くなることがあります。

主イエスは、一人祈っておられました。弟子たちは、悲しみに打ちひしがれ、つい眠りこんでしまいます。そんな彼らに主は、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」と言われました。それでも弟子たちは、眠りこんでしまいました。しかし、主イエスは憤慨して彼らを置き去りにはされませんでした。眠る弟子に代わって祈ってくださったのです。私たちが誘惑に負ける時、主が祈っていてくださることを覚えたいと思います。

記事へトラックバック / コメント


御言葉の余韻

2012/02/19 16:14
画像


「そして40日間、昼も夜も断食した後、
空腹を覚えられた。」
(マタイによる福音書4章2節)

高校生の時、2マイル走に出場したことがあります。トラックを8周するのですが、完走すれば銅メダルは約束されているというような小さな大会もありました。それでも、走りながら思うことはいつも同じです。「疲れた!早く終わりたい・・・。」

肉体的・精神的に追い詰められている時、私たちは誘惑の声につい負けてしまうことがあります。イエスさまが誘惑を受けられたのは、40日間の断食の後で空腹の極みにあった時でした。石をパンに変えてみろ、という悪魔の誘惑の声を聞かなくても、石がパンに見えていたのではないでしょうか。それでも、主は御言葉によって誘惑を退けられました。そして、主は私たちをも誘惑の先にある勝利へと導いておられます。
記事へトラックバック / コメント


ぶどうの小枝26

2012/02/14 18:33
画像


「わたしたちが誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。」
(テモテへの手紙二 2章13節)

 「外国人が日本に長く暮らし過ぎたと思う101の場面」というものの中に「電車が1分でも遅れると、自分の時計が間違っているのでは、と疑う時。」というものがありました。天候などによって少し遅れることはあっても、日本の電車が緻密な時刻表に従って走っていることは有名です。世界の通勤電車は「ほぼ10分ごと」と言ったようなスケジュールで走っていることが少なくないのです。私たちがたまに寝坊することはあっても、電車は時刻表どおりに走っていることで、通勤・通学のストレスが一つ減るのではないかと思います。

 主イエス・キリストの福音が福音たる所以はどこにあるでしょうか。それは、救いが私たちの力や確かさによらない、ということではないかと思います。全ては主イエスの十字架で成し遂げられた贖いによるのです。私たちが苦労して救いを勝ち取るのではなく、神さまが恵みに基づいて、救いを自由に私たちに与えてくださるのです。私たちは、不確かさを持っています。ふらふらと神さまから離れてしまうこともあります。どれだけ私たちが、不誠実であったとしても、主は常に変わらず真実なお方なのです。主の確かさに支えられるのです。
記事へトラックバック / コメント


チョコっと卓球の会2012

2012/02/13 12:29
画像


今年もこの季節がやってきました。バレンタイン。スーパーに行けばバレンタインのコーナーが設けられていて、色とりどりの、世界中から集められたチョコレートが並んでいます。私自身は、バレンタインにあまり良い思い出はないのですが(涙)、ま、それは別の話です。はい。

画像


畦野教会では、バレンタイン直前の日曜日に「子どもと大人の合同礼拝」を守り、礼拝後に手作りチョコレートと卓球の会をしています。教会学校の教師の方々が作ってくださった豚汁(ぶたじる)とおにぎり(カレー風味など)をいただいた後、今年は、男の子もチョコレートを作りました。自分が作ったチョコを自分で食べるのもよし、また、家族にプレゼントするのもよし。結構楽しく作っていました。トッピングを先に食べてしまう人続出・・・。

画像


卓球は、卓球台ではなく長テーブルを6つ並べて台にしているので、テーブルごとに微妙にバウンスが違ったり、段差でイレギュラーになったりすることにめげず、白熱した試合が行われました。その後、聖書のお話を聞いて、賛美をしました。心も体も満たされた一日でした。感謝。
記事へトラックバック / コメント


御言葉の余韻

2012/02/12 12:20
画像


「そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」
(マタイによる福音書3章17節)

 罪のない神の御子であるイエスさまが洗礼を受けられました。それは単に私たちのために模範を示してくださったというのではなく、主の洗礼が神に受け入れられたことで、私たちも洗礼において主に与ることができるためでした。

 私たちは「父と子と聖霊」の三位一体の神の名によって洗礼を受けます。私たちは、聖霊の助けによって、子の贖いの業のゆえに、父なる神に受け入れられ、神のものとされるからです。私たちは、直接、神との交わりに入れられることはできないのです。悔い改めも、祈りも、賛美も、礼拝も、「聖霊によって、御子を通して、御父へ」という三位一体的な枠組みの外で行うならば、それは人間の独り善がりになってしまうでしょう。
記事へトラックバック / コメント


続きを見る

トップへ

月別リンク

畦野教会ニュース/BIGLOBEウェブリブログ